適応

310px-Charles_Darwin_1880『最後まで生き残る者というのは、必ずしも最も強い者ではない。変わりゆく環境に最も適応できる者こそ、最後まで生き残るのである。』

これはダーウィンのことばです。私はダーウィンの進化論はどうなの?ってホントって思っているのですが、上のことばには共感します。

毎日連続していると気が付かないけれども、それが月単位、年単位で確認検証していくと変わっていることに気づかされることは多いと思います。

合氣道においても、以前はこれで正しいと稽古してきたことも、これってどうなの?って思ってしまう技もあります。

時代が変わっているのです。

その顕著な技が、相手が回し蹴りしてきたとき、こちらは手の小指側を出しておけば大丈夫というもの。はっきり言います。

絶対無理

そういうこというと、以前からある合氣道の技に対して失礼だろう、無礼者!ってお叱りを受けそうですが、現実無理なものは無理。

でも、その技ができた当時はそれでよかったのだと思います。

理由は

  1. 合氣道が体系つけられた当時(昭和初期)は蹴り技がそんなに発達してなかった
  2. 足で蹴る高さはせいぜい腰から上程度しか蹴ることができなかった。そもそも立っている人の顔を足で蹴るという発想もなかった。

ということです。ところが現在では、日本人の蹴り技もその当時に比べて格段の進歩を遂げています(特にムエタイの影響を受けてから日本人でも強烈な蹴りを蹴れるようになりました)sinlapa-297436足で顔を蹴れる人なんて空手、キックボクシングをやったことがある人にとって当たりまえのことなんです。

それを知らずに昭和初期の受けをやったらどうなるでしょう?・・・

とっても悲惨な結果が待っています。

実際合氣道の道場でもこの技を受けた人が悲惨な目にあったのをみたことあります。ていうかこの昭和初期の受けに対して蹴りをいれたのは、私です。

相手の方(私の先輩でしたが)は悶絶していました。スミマセン当時は合氣道の技はすごいんだと本気で思っていましたので、一切の手加減なしで蹴り込んだ結果です。正直言いますと顔面も蹴れたのですが、さすがにそれはマズかろうと指定された箇所(腕)を蹴ったのですが・・・

ですから、技も環境に適応していかなくては、本当にただの形式だけのものになってしまいます。出来ないものは素直にそうと認めて改善できるものは改善して、無理なものは削除することも必要ですね。

 

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