ついに、古(いにしえ)の達人のみに許されていた秘儀を現代に蘇らせることに成功しました②

植芝盛平先生
合気道を開眼したのは、
大本教の出口王仁三郎に師事してから
ということは有名です。

大本教とは神道系の新興宗教です。
出口王仁三郎は武術家ではありません。

ですが植芝先生が出口王仁三郎に
出会っていなければ
武術の達人にはなっていないでしょう。

ここが重要なポイントです。

このことは誰もが知っていることです。

それで表面だけ
植芝先生のマネをして
祝詞(のりと)を稽古前に
奏上してから
稽古していた弟子もいたようですが、

当然、植芝先生のようなことは
できません。

もし祝詞を奏上しただけで
達人になれるのであれば、

神主さんは皆、
武術、武道の達人のハズですね。

ラーメン、つけ麺、ボクイケメン
の狩野英孝も?

そんなのあり得ないでしょう。

 

出口王仁三郎は植芝盛平だけ特別に

ある技法

を伝授したのは
間違いありません。

ですがその技法は
植芝盛平は生涯誰にも
伝授しなかった(息子にさえも)ので
失伝しまいます。

映像に残る植芝盛平の技をみて
これって

ヤラセ

って私も思っていました。

 

でもそんなヤラセをやる道場に
多くの人が集まって
稽古をするハズはありません。

植芝盛平は間違いなく
ホンモノの武術、武道家だったのです。

 

佐川幸義先生は植芝盛平先生と
大東流の武田惣角先生の門人で
兄弟弟子の関係でした。

佐川先生には
植芝先生の出口先生にあたるような師は
いないのにも関わらず、

合気という技法を編出した
不世出の武道家です。

他の武道や武術、スポーツまでも
熱心に研究されていたことは有名です。

特に四股は重要視されていたようです。

私もこの話を聞いて
一時期、四股を毎日1000回やっていました。
1年半毎日欠かさずにやっていました。

でも
これもよく考えれば
おかしなことです。

普通の体格のものが
いくら四股をたくさんやったところで
どうなんでしょう?

そこで生じた疑問

四股を行う本当の意味は何だろう?

実はここにも重要な秘密が
隠されていました。

もちろん佐川先生は
そのことにもお気づきであったと
思われます。

植芝先生同様に
その本当の意味は
弟子に伝えていません。

 

今の時代は何でも
先生はすぐに教える
傾向にありますね。

また教わる側の弟子も
すぐに教えてもらいたい。

でも少し前まで(といっても昭和時代までかな)は
職人さんの仕事などでも
教えてもらうというよりは、

師匠、先輩から盗む
(窃盗ではなく技術等は師匠、
先輩の仕事ぶりをみて自分で覚える)と
言われていました。

なので武術、武道の世界も同様でした。
植芝盛平先生の話ですが、
植芝先生が投げ技を行うとき
足の動きが見えなかった(袴を着用しているため)ので

弟子が

「植芝先生、足の動きをみたいので
袴を少しまくっていただけませんか?」

って言ったそうです。
それを聞いた植芝先生は

「そんなっもん見せれるか」

って烈火のごとく怒ったそうです。
そんな調子ですから
まともに奥義などは
教えてもらえなかったんでしょうね(-_-)

 

次回はこの技法の可能性について
お話しますね(^_-)-☆

 

 

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