合氣道眞伝会でお伝えする合氣道とは!?

当会では合氣道をお伝えしています。もちろん護身術に役立ちます。
ですが毎日護身術が必要な環境に住んでいる方は
そんなにいないと思います。

他に役に立つことは?

合氣道眞伝会の技は相手を投げようとか
痛めつけようと思ってかかる技は1つもありません。

もしかかったとしても
それは相手が自分よりも体力的に弱い場合のみです。

それではどうして技がかかるのか?

それは視点を変えることです。
文字通りの視点ではありません。

内面のことです。

こちらが投げようと思えば相手は投げられまいとガンバリます。
痛めつけようと思えば痛めつけられまいと反発されます。
これは当然の反応ですね。

先ほども言いましたが
これで技がかかる場合は相手が自分よりも
体力的にも筋力的にも弱い場合限定です。
こんな稽古に何の意味もありません。
最初から自分の方が強いんですからその時点で技なんか要りませんね。

まず
自分の内面を整えます

相手を投げようという気を取り去ることです。
痛めつけようという気を取り去ることです。

まず
自分がそうなることにより
相手の反発が無くなります

自分の心を水例えますと、
波が完全に鎮まった状態です。

この状態で自分の身体を正しい方向に動かします。
それだけ

これで技が完成します。
ガンバッテいた相手も簡単に転がっています。

このように自分の心をいかに鎮めることができるか?

技を通して心を磨いているのです。

闘争心や殺気などは心を乱すもので
当会の合氣道には必要ありません。

試合などもそういった意味から
必要がないことがお分かりいただけると思います。

アナログは時代遅れでダメなのか!?

あなたは本を読むとき

本(?)ですか?
電子書籍ですか?

なんだか質問がおかしいですが、
私は電子書籍は読んだことないです。

絶対に紙です。

こういう人をアナログというんでしょうけど、
ある実験が行われました。

同じ内容の本を紙の本で読んだ場合と
電子書籍で読んだ場合のその後の記憶についてです。

1ケ月で電子書籍で読んだ人は
内容がほとんど思い出せなかったのに対し
紙で読んだ人は内容が思い出せたそうです。

同じものを読んで
それが紙の本かタブレットの画面上のものかで、
なぜそのような差が生まれたか?

その理由を

紙の本の場合、読み進めると必ずページをめくる
という肉体的な動作があるのに対し、

電子書籍ではそれがないからではないかということです。

人の記憶を脳にとどめるには
目からの記憶だけではなく
その時の身体の動きも併せて記憶として処理されるのだそうです。

合氣道でも映像などで動きを確認することはあります。
でも映像だけ見ていても
決してできるようにはなりません。

技を思えるには身体を動かすしかないです(^_-)-☆

追伸
学校教育でもペーパーレス化が進んで
そのうち教科書が紙ではなく全部タブレットになっていくような
流れになっているようですが・・・

再追伸
スティーブジョブス(アップル創業者)は自分の子供にはアップル製品は使わせなかったそうです。

 

ガッツポーズ

その昔、プロボクサーのガッツ石松さんが
試合で勝ったとき両手を突き上げたことから命名されたそうです。

それからは他のスポーツでも点を入れたり
勝ったりしたときにする大げさな表現を
ガッツポーズと言われるようになりました。

スポーツならそれでOKです。
スポーツですから観客も楽しませなきゃいけないんでしょう。

でも武術にはそんなポーズは必要ありません。
相手が倒れたからといって、
その相手に背を向けた状態で両手を上げて喜んでられません。

それはなぜか?

スポーツは審判がいてその勝負が競われます。
それで勝ち負けが決まります。
負けた人が試合後に勝った相手に暴行などしたら
永久追放されるでしょう。

武術は以前はすべて剣術に含まれていました。
剣術の道場で、剣はもちろん組技(組んで投げる、締める)当身(打撃)の
すべてを行っていました。

試合となれば命掛けです。
真剣で立ち合えばどちらか、もしくは双方が
命を落とすこともありました。

そんな試合後にはガッツポーズ(そのころはガッツ石松さんもいませんでしたが・・・)なんてありません。

選手がガッツポーズをしている競技は
すべてスポーツです。

 

「心が身体を動かす」中村天風

合氣道では「心が体を動かす」と言う言葉をよく使います。
このことばは中村天風先生が使われていたのを
藤平光一先生が合氣道に取り入れたものです。

どういうことかといいますと、
例えば相手の人が自分の腕を力いっぱい握ってきたとします。
その時あなたが

こんな力で押さえつけられたら自分の腕は動かすことができない

と思います

思う=

そうなるともう自分の腕は動かすことができません。

自分の心=思い

自分の身体(この場合は腕)に作用した結果なんです。
心で身体にブレーキをかけた状態ですね。
ブレーキをかけてしまっては当然動くことなんかできません。

動くためにはブレーキを外さなくてはいけない。
それも自分の心です。

自分の腕を動かすって決めるんです

そうすると動かすことができるんです。

合氣道ではこのような心の使い方をしています。
動けない、無理だと思えば
自分で思ったとおりの結果(動かない、無理)が生じます。

なので

大丈夫、できるって心を使うんです

そうすると簡単に動けるようになれます。
いつも合氣道ではこのような稽古をしています。
なのでそれがクセになってきます。
クセといっても悪いクセではありません。

いつも大丈夫、できるって

考えるクセが付きます。

もちろんこれは合氣道の技を行う時だけ使用するのではなく
いつでも使ってください。

こんな仕事無理だって思ったらそのとおり無理になります。
大丈夫だって考えれば大丈夫な方向に
思考が進んで大丈夫になれますよ(^_-)-☆

使用基準

〇〇に私闘なし 〇〇には武術名が入ります。
武術、武道は一般人には使ってはいけない。ということです。

でも相手が殴りかかってきたらそのときはどうしますか?

武術に私闘なしだからひたすら耐える。
殴られたらそのまま殴られ続ける

・・・

そんなバカなって思ったあなたの考え方は正常です。
一般的に武術、武道の技は使ってはいけない
なぜなら一般人に使うと怪我をさせてしまうからですが、

それだからといって一方的に殴られるのもどうかと思います。

なので自身で武術の技の使用基準を設けておくことをお勧めします
この状態になったら躊躇なく使う

・・・

とこの状態の基準はあなたが決めればいいのです。
でも一発殴られたらとかはあまりお勧めしません。

ちなみに私(木下)の場合は
こちらに相手が突っかかてきたらもう使用解除にしています。

もちろん相手の攻撃がまだこちらに届いていない状態での解除です。

武=戈(ほこ)を止める=戈(ほこ)とは攻撃してくる道具ですね。
これを止める ということです。
その術が武術です。

とはいいながら武術の技を使うような場面に目に遭わないことが一番大事です。
武術の技を道場以外で使う機会を多いのは、
かかってくる相手の問題というよりも
あなた自身に問題があると考えた方がいいでしょう。

8月11日(土)~17日(金)まで稽古はありません

注目

8月11日(土)~17日(金)まで夏休みです。
すべての道場、事務局はお休みさせていただきます。

よろしくお願いします。

合氣道の投げ技は自分の心を映している!?

武道でも格闘技でも投げ技があります。
色々な種類の技がありますが、
競技武道、格闘技どちらにも共通していることがあります。

それは

相手を投げようとすると
その相手は投げられまいと抵抗する

ということです。
それは当たり前ですね。
だって投げられたら負けを宣告されますから、
投げられまいと必死に抵抗します。

そんな抵抗している相手を投げるのは
物凄く大変ですごいことです。

ここで考えたいのは

自分が相手を投げようとする心が
相手の抵抗を生み出している

ということです。

自分が相手を投げようと思わなければ相手は抵抗しません。

まあそうなれば抵抗はされないですが
何もないままってことになります。

競技武道でも格闘技でも
攻撃をするということを前提に試合が組まれています。

積極的に攻撃することを奨励もしていますし
それが競技武道、格闘技の命にもなっています。

逆に攻撃しないと消極的とみなされ
警告を受けたりそのまま失格になったりして
負けを宣告されます。

合氣道で試合を行わないのは
この「攻撃する心」が不要であるからです。

「攻撃する心」が相手の不要な抵抗を生みますし衝突を生みます。
投げ技の稽古でも大きくその意味が異なります。

いざ一大事のとき怒りの心でそれを打ち破ることを考えるのか?
それとも冷静に状況を判断し最適な方法を模索するのか?
取り組む武術、武道、格闘技によりその考え方は大きくことなります。
どれがいいとかではありません。

あなたがどの考え方が好きかということになります。