今年のあなたはどこに向かう?

毎年稽古初めのときに話している内容ですが、
冬休みに出かけた人って聞くと

ハイハイ、おばあちゃんち行った。〇〇に行ってきた ・・・

子供たちは元気に答えてくれます。
何で行ったの?

車、電車、飛行機・・・と様々な交通手段で出かけていますね。

出かけるときどっか行こうって
言ってでかけたらどこに着く?

え~??どっかじゃわかんないよ~

そうだね。
どっか行こうなんて言って出かけたりしません。

〇〇に行こうって
行く前に目的地を決めてから出かけるわけです。

そんなわけで

あなたは今年どこに向かいますか?

どこって場所のことではありません。
あなた自身が決めた目標のことですよ。
目標なんか決めてないし、決めなくてもいいでしょ
っていう人もいます。

決めてないから他の人の影響もモロに受けます。
それであっちへフラフラこっちへフラフラ・・・

そんな生活しても何も実りませんよね。

自分でやり遂げたいことを決めて進むと
充実した毎日を送れることを保証します

追伸
目標というと苦手を克服するような目標を考える人もいますが、
楽しい目標でもいいんですよ。
自分がワクワクできる目標です。

ゴールに到着するのが待ち遠しくて楽しくてしょうがないような
目標だと最高ですよね。

再追伸
〇〇をガンバル・・・これはダメ。
具体的に数字で表せる目標です。
例えば早寝、早起きって目標じゃダメってこと、
今年は朝6時に起きて夜10時に寝る・・・
これならOK
目標は計測可能なものにしましょう

ドーピング

オリンピックを目指しているような選手がドーピング?
じゃなくて他の選手が禁止薬物を使っているような
工作をした人がいたってニュースでやってましたね。

カヌーの選手らしんだけど、
私カヌーという競技を知りません。

でもボートをオールで漕ぐってことぐらいは知ってます。
彼女とデートで池に浮かべたボートを漕げる位のもんじゃ
オリンピックに行けないことぐらいもわかります。

相当な肉体的鍛錬をしていたハズですね。
オリンピックですから

・・・

肉体的鍛錬は心の修行には一切ならない

って証左でございます。
一切です。

肉体を鍛錬して鍛えられるのは肉体とその技術のみ、
なんだか普通の人は肉体を鍛えると
心や精神まで鍛えられると勘違いしています。

その原因は肉体を鍛えているんだから
きっと心も鍛えられているんだろう
という幻想からきています。

オリンピックを呼びたい人たちや関係者は
身体だけじゃなくて心も鍛えられるスポーツはいいですよ
ってことにしたいんでしょうね

本当に「氣」は使えるのか?

本日1月9日(火)が今年の稽古初めでした。
初心にかえり合氣道の「氣」の話から
合氣道から氣が無くなると何になる?

・・・

合道なんじゃそれって、
実は氣は人が生きてる限り出続けています。

氣がでなくなるとき=死んだとき

です。
ですが「氣を出す」なんてことばがあります。
普通に誰でも出ている氣なのに「氣を出す」って変じゃない。
って実はそのとおりです。

なので正確には「氣を出す」ではなく
「分散して出ている氣を集中して出す」ということになります。

太陽の光の例がわかりやすいですが、
普通、太陽の光を浴びても物が燃えることはありません。

でも虫めがねでその光を一点に集中させると
高熱になり物があれば燃えてしまいます。

氣もそんなかんじです。
普通にしているときはその威力はありませんが、
集中させることにより強力な威力を発揮するわけです。

この氣のちからを使って技を行う武道が合氣道なのです。

その出し方は、力を入れて振り絞る?
違いますよ。

これも太陽の例で説明すると
太陽の光を集中させるとき太陽自体が力んだりはしませんよね。

虫めがねを使って集中させるわけですが
この虫めがねにあたるのが「心」なのです。

心を使うときに身体を力ませる必要はありません。
ただ「集中している」と思えばいいだけです。

太陽の光とちょっと違うところもあります。
それは太陽の光を集中させて物を燃やすまで数分かかりますね。

の場合は「集中した」その瞬間にその威力を発揮できます。
その氣を使って行う武道が合氣道というわけです。

なので氣が使えない合氣道は合氣道ではありません。

 

なぜ合氣道眞伝会は試合をしないのか?

正月に美味しいを食べ過ぎて
ちょっと身体が重く感じている
木下淳人です

スポーツや武道では試合があります。
年末にも格闘技イベントがあり私もテレビで観ました。

スポーツの試合も息子の源氣(小6)が
サッカーをやっているので応援に行っています。

勝てばうれしいし。負ければ悔しい、
それでまた練習して試合をします。
その繰り返しが上達の道に通じているのでしょう。

ならば合氣道眞伝会でも試合をすれば
いいのではないか?

と単純に思われても当然だと思います。

でもやりません

なぜか?

もしかしたら技の形のみを磨くのであれば
試合は有効であるかもしれません。

でもお互いが技を掛ける状態にはならないのが、
合氣道眞伝会の特徴でもあります。

もうちょっとわかりやすく説明すると
技をお互いが掛けようとする状態というのは
お互いが争っている状態とも言えます。

完全にぶつかり合っているという事です。
そのような状態は合氣道眞伝会にはない
ということなのです。

ますますわかりにくくなった?

我欲を出すとその途端に技が掛からなくなる。
もしそれでも掛かる技というのは
力ずくかフェイントで相手をだまして
かけた技になるのです。

それは当会が求めている姿ではないのです。

こちらが冷静に心を落ち着けていれば
相手の状態がよくわかります。

その上で相手の身体が動く前に対処する
通常の合氣道はこのレベルです。

当会では更に相手の心が動く前に対処する
方法を会得することができます。

極論をすれば

相手の心や身体が動く前に
既に制しているのが合氣道眞伝会の技になります。

会得できると楽しいですよ(^_-)-☆

お出かけですか?レレレのレー

昨日電車で移動したとき、
駅の階段を登って息切れした木下淳人です。

私はマンションに住んでいるのですが、
今日から管理人さんも出勤しているようです。

朝、私がゴミ出しに行ったら管理人さんが
一所懸命ほうきで床を掃いていました。

管理人さん私に気づいて
「今年もよろしくお願いします」って言ってくれましたが、

ザッザッザッと
ほうきを動かす手は動いたままです。

そこで思い出したのが
元祖天才バカボンに出ていたレレレのおじさん
「お出かけですか?レレレのレー」の姿そのもの。

残念

せっかく挨拶するなら、
今やってること一旦止めて挨拶に集中しましょ。
それだけで全然違う挨拶が完成しますね(^_-)-☆

あけましておめでとうございます

今年も合氣道を通じてあなたがより明るく楽しくなれってくれたら最高です。よろしくお願いします。

目に見えないものは無い!?

目に見えないんだから無いは正解でしょう。
機械で測定できないから無いっていうのも
正解でしょうね。

では人間の生命力って見えますか?
機械で測定できますか?
見えないし測定できないから無い?

わたしたちはどこから来たの?

一番最初の人はだれ?

そんな研究をしている方もいらっしゃるようですが、
例えばニワトリと卵ってどっちが先なんですか?
目の前にニワトリがいて
そのニワトリが卵を産んだら
その卵はこのニワトリから産まれたってわかります。

じゃ一番初めはニワトリ?卵?

わかりませんね。

この世界は神様がおつくりになった。

ということです。

人間は神様がつくったんです。
その人間には無限の可能性がある。

身体を鍛えるのはいいことです。
でも人は身体だけじゃない。
心もあります。

心は目には見えません。

でもありますよね。
合氣道眞伝会では心を鍛える稽古をします。
目に見えない心をどうやって鍛えるの?

走り込みして限界まできたとき
まだいけるって鍛える?

受身を連続してまだいけるって鍛える?

そんな考え方をしてしまうのは
身体を鍛えれば心も鍛えられる
って勘違いをしているからです。

身体を鍛えても
心は一切鍛えられたことにはなりません。

一切です。

身体を鍛えて鍛えられるのは
身体だけですよ。

心と身体が連動しているというなら、
一所懸命勉強します。

そうすると
身体も鍛えられたことになりますか?

いやいやなりません。
頭を鍛えれば頭が鍛えられ、
身体を鍛えれば身体が鍛えられるんです。

心は心として鍛えなければいけません。

その方法とは

・・・

まず一番最初に行いたいのは
心を落ち着けること。

目には見えない心ですから
その場所は自由に移動できます。

なので自分で

自分の心は
下腹の最下部に落ち着いている

って決めるんです。
自分で決めればそれでOK
決めた瞬間に心が落ち着いた状態になってます。

ここで間違いやすいのが

臍下丹田のことか

と勘違いしちゃうこと。
これは間違いです。

下腹に力を入れる?

そんなことしちゃダメですよ。
それは硬直している状態であって
落ち着きと全く違う状態です。

そもそも身体の力を入れないと
落ち着けないって考えが違うのです。

実は自然体であることが
一番楽でしかも一番強い状態であるんです。

そもそも
体力や筋力がなければできない合氣道は
合氣道とはいいません。